唐代の文化は、北朝からは整然たる政治的文化をうけついで完成し、南朝からはおもに芸術文化を受け継ぎ、新たな展開を遂げた。同時に主として西方からの外来文化にも寛容で、唐文化は著しく国際的性格を持つようになった。そこには南北朝時代に積み重ねられた貴族文化の精華と異国趣味にあふれる外来文化との結合した華麗な文化が、貴族階級を担い手として成立した。とくに文学と芸術にその特色が示されている。
漆器・織物・陶磁器・金工など、工芸の発達もめざましく、その遺品は奈良東大寺の正倉院で見られる。特に陶磁には、北朝の後期、六世紀の華北では、伝統ある鉛釉を復活させ、華南の青磁や黒釉の技を受け止め、ついには白磁や三彩を開発するまでに作陶活動は大躍進をとげた。
西アジア刺激は、技ではなく、作風の面での刺激であった。西アジアの文化がシルクロードを経由して中国に紹介され、貴族の時代の富裕層を潤していく。かつて外国から影響を受けたことのない造形史は、ここで珍しく、西アジアの造形が色濃く投影する時期を迎えた。そのため、陶磁界には、商時代以来、長く支配を受けてきた青銅器から全く解放され、造形意匠の新風が吹き込む。結果としては西アジアの金、銀、銅器やガラス器が新しい造形の重要な源となった。形だけではなく、装飾文様の面でも西アジアの文様が登場してくる。葡萄文様、パルメット文様、西アジアの風俗や人物などが意匠化された。
|